見えないものを見るために

人生哲学 元図書館司書 図書館・情報学

弱いメンヘラと強いメンヘラについて

私がひそかに読んでいるサイトにメンヘラ.jpがある。以前ここでメンタルの男性と女性の間で恋愛格差があることについてが話題になっていた。

menhera.jp


要は女性のメンヘラには男性のパートナーに救われて、働かなくても生きていける道がある。一方で男性にはその道がなく、甲斐性のない男性として見下されるだけだと。確かに一理ある。

ここで私について話したい。私は性別上女である。10代後半から20代前半までを「メンヘラ」として過ごした。ずっと女子校という狭いコミュニティに属していたため、異性と触れあう環境はなく、あってもナンパ等のクソみたいな出会いであり、基本的に男に救われるという状況にはなかった。だからこそ、インターネットで他のメンヘラが自分の鬱々とした状況を嘆く一方で、「彼氏」という存在に甘えている場面を見ると疑問に感じることも多かった。

そんな私を救ったのは、男でも薬でもなく、キャリアと経験であったのだが、それは置いておく。

結局、自分を救えるのは自分ということ。私は仕事柄、「弱者」を目にすることもある。誰かや何かに依存した結果、捨てられて生活困難に陥る連中を嫌と言うほど見てきた。依存先が複数あるならともかく、相手に一点集中することはそれをなくしたら終わりだし、リスク管理ができていない。パートナーの死別、離婚。ひとり親。もしDVや虐待にあった場合、自分に力がなければ逃げたくても逃げられない。パートナーに救われるメンヘラの図式の先に必ずしも幸せな世界が永遠に続いていくとは限らないのである。
なので、女性も経済力を持って自立するのはマストである。

しかし、ここに弱いメンヘラと強いメンヘラという二項対立が見られるなぁとも思える。

現在の私は安定した仕事もあり、学歴もある。外見だけでは「強者」である。が、いまだに情緒不安定になることもあって、メンタルが完治している訳ではないのだ。健常者のふりをしてやり過ごす日々もあった。そんな中、上記の男性メンヘラたちを見て、じゃあおまえも自分の力で這い上がれよと、つい冷たい言葉が出て来てしまう。生存者バイアス乙! この世には、結婚に逃げられない女性もいれば、ヒモになる男性もいるわけで、やり方次第とは思う。

もし男性が女性に養ってもらいたいならば、家庭的な男性を目指すべきだろう。家事やれて家を守れる男性は需要ありまくるのでは…?