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ひろゆき氏と「フェミニズム」について~論点を見誤る人たち~

ハフポストのひろゆき氏が語る「フェミニズム」の記事について前半、後半共に感想を述べてきた。私は其なりに肯定的に見ていたのだが…。
思い出したようにひろゆき氏のTwitterを見に行ってみたら、残念なことになっていたので記事にしたい。


ひろゆき氏の新しい記事はガジェット通信発である。

getnews.jp

フェミニストと名乗る人が、本当に男女平等を目指しているのであれば、「レディースデイの撤廃」や「男性専用列車の実現」に賛成してくれると思うので、その切り分けをしたくて書いてみました。


???

何故こんな明後日の方向に進んでしまったのだろうか?

よくわからない。煽られたから極端な方向、PV稼ぎに走ったのか? とても残念でならない。ハフポストの記事を肯定的に見ていた自分が途端に恥ずかしくなってきた。こんな書いているのも乗せられているみたいで。

私は、男女平等とは性別による「格差」や「ハンディキャップ」をなくすことであって、全くの同じになることではない。相対的平等のことだと考えている。

往々にしてこのような論点のすり替えは起こり得る。ここでは「レディースデイの撤廃」と「男性専用車両」について考えたい。

レディースデイを撤廃するのならば、全ての優遇割引はなくさなくて良いのか?


私は「レディースデイの撤廃」については、企業のマーケティング戦略への批判なのではないかと考えている。

そもそも最近だとメンズデイやメンズセット、男性限定もよく見られる。もっと言えばシニア割引、障害者割引、キッズ割引、年齢割引、SNS割引、事前購入割引(前売り券)、エトセトラ。多様な割引が消費者の金を引き出そうとあれやこれやとやっている訳だ。企業側も相対的に金が少ない層にどうやって来てもらうか模索している。その簡単な方法が補助金か値下げ。レディースデイもその一つだ。
本当にレディースデイを撤廃するのならば、市場に出回る金の分配も平等にしなければフェアではない。男性稼ぎ主モデルの解消、男女の賃金格差の撤廃、子育て後も復帰しやすく稼ぎやすい仕組みを作る、解決すべき本質的な問題がたくさん見えてくるはずだ。
ただし、私は企業のマーケティングを全部が全部絶対的平等にするべきとは思わない。なぜなら、男女の問題だけではなく、誰もが満足に金を稼げるとは言えないからだ。レディースデイも、メンズデイも、シニア割引も、男性限定も、女性限定も、それが公序良俗に反しないのであれば、あっても良い。新宿二丁目レズビアンバーはLGBT限定で良いし、ゲイバーは女人禁制であっても良い。
もし名前の問題であるならば、レディースセットを大盛無料のようにすれば良いのだろうか。レディースデイがない店を利用すれば良いのだろうか。最近だとレディースデイ自体を見る機会が減ってきた。だから、この手の話題が出る辺りがすごく時代遅れのような気がした。

もしレディースデイの撤廃を望むなら男性たちで戦えば良いのではないか? もしくはメンズデイの拡大。かつて女性たちが権利を得るために戦ったように。看護師の給料が他のケア職に比べて高いのも、かつての看護師たちが賃上げ運動を死ぬ気で頑張ったからだそうだ。当事者が声を挙げていくのが大切だ。ひろゆき氏はそういう話をしたい訳じゃないのだろうけれど。

ちなみに、私事で恐縮だが、渋谷で銭湯を探していた時に、数少ないスパが男性限定だったので残念な思いをした。パスタ屋さんで大盛無料がメンズセット、野菜が付いているのがレディースセットであった。大盛が良かったのにメンズセットが頼みづらいから、レディースセットを頼んだ。

痴漢撲滅こそが解決すべき課題である。

次に「男性専用車両の実現」である。まず前提として男性専用車両を私はやっても良いと思う。これで面倒な男たちの気がすむなら、他の女性たちも気兼ねなく女性専用車両を使えるだろう。
しかし、この課題設定には疑問がある。なぜなら、そもそも痴漢や犯罪行為を行う人の排除、撤廃こそが一番の目的にならないといけないからだ。男女が争うのではなく、痴漢という犯罪者の撲滅こそが共通の敵であり、課題である。
先日、センター試験を狙った痴漢の問題から、試験当日に見回りをするボランティアが出たそうだ。世の中世知辛すぎる。その中には娘のために送り迎えをする父親もいた。男性でも自分の娘に置き換えるとジェンダーの問題が見えてくると聞く。逆に言えば娘が出来たらひろゆき氏も考え方が変わりそうだ。

更に痴漢を引き起こす原因の一つに、満員電車や通勤ラッシュが挙げられる。これを解消して、できない、やれない仕組みを強化するべきだ。何も被害者が必ずしも女性であるとは限らない訳だから。
しかし、百合子氏が東京の電車を2階建てにする構想だとか、時差通勤だとか、いろいろやってはいるが、一向に解消しない。それこそ問題だろうが。男性専用車を増やしたらもっと乗れるようになるのか? したら男女どちらも乗れる車両では痴漢されやすい、してもいい雰囲気になってきたりするのだろうか? トランスジェンダーはどこに乗る? 課題がどんどん出てきた。

共通の課題を見失なう人々

共通の敵や課題がある者同士が何故か対立し合って本来の目的を忘れてしまうことが往々にしてある。

例えば、去る2月2日にシンポジウム「公共政策におけるアートの位置を問いなおす」に参加した。場所は東京大学駒場キャンパス

www.iii.u-tokyo.ac.jp


ここで「あいちトリエンナーレ」の検閲問題について、当事者からの報告がなされた。そこで、検閲問題が同じ流れを辿って本質を見失ってしまうことがよくあるという指摘があった。
まず問題(国の補助金不交付)が起きた後、①分裂が起こり、犯人探しが始まる ②内部の争い ③外部意見が当事者として入ってくる ④崩壊して終了
こんな流れである。

既に補助金交付を決定した文化庁が、後になって撤回をしてくるという事実上の検閲を行ったことが問題であって、アーティストや学芸員や行政関係者が互いに喧嘩している場合じゃあなかった訳である。ましては一部を切り取って批判する外部者は、対立を煽る火の粉のようであった。


ジェンダーの問題にも言えるのではないか?

解決すべき共通の課題は男女で存在する。本来は一緒に戦えるはずなのに、対立してどうするのか。
問題の本質を見失ってはいけない。