見えないものを見るために

人生哲学 元図書館司書 図書館・情報学

夢追いの構造はどれも儚い

底辺声優の所感を見て思わず言いたいことがあったので少しばかり書き残したい。

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まず、第一に私について触れておきたい。私はずっと学問の分野で夢を追い続けてきた人間である。専門は図書館・情報学。要するに図書館司書である。
司書や学芸員といった文化系専門職の正規雇用はかなりの狭き門であり、大学図書館の司書となると300倍になるケースが珍しくない。有名大学を卒業し、修士号、博士号を持っていたとしても、正規雇用の募集自体がそもそも少なく、職につくことができない。業界では非正規雇用が中心のため、食えない、割りに合わないため、業界を去っていく人も多い。中には、非常勤やアルバイトで食い繋ぎながらポストを目指している者もいるが、全国で数十程度の採用募集に何百人もの優秀な経験者が集まってくるため、なかなか受からないまま年齢制限を達する人も多い。それでも諦めずに業界にとどまり続けた者はどうなるかというと、受からずに非常勤・アルバイトループに陥る。官製ワーキングプア、雇い止め、違法労働、転職先なし、汎用性のあるスキルなし。社会から迫害されて貧困を漂うことになる。業界には高学歴でお勉強ができる真面目な人たちが多いが、頑張っていれば報われますという構造ではない。当たり前だ。そもそも需要に対して採用枠が少なすぎるのだから。そこにあるのは声優と同じ、肉体的、金銭的、年齢的な消耗戦だ。

そんな中で私が夢を変えたのは26歳の時だった。今の仕事に転職したのは28歳。夢は叶わなかったが、別業界での安定した雇用は手に入れた。ちなみに私の最終学歴は慶應義塾である。いくらロンダを重ねても上には上がいる。学歴だけでは戦えない。他のスキルやコネも重要であり、時に諦めも必要。とてつもない競争とやりがい搾取であった。


だからこそ、私も26歳の頃に同じようなことを思っていた。以下を引用する。

「誰もが自由に夢をめざせる公平な社会の実現という目標。あらゆる差別や理不尽をなくしたい。」

私もそう思っていた時期がありました。

しかし、これは無理だ。私は全く別の分野である経済、政治、社会を勉強してようやく気がついたのだ。誰もが夢を目指せる公平な社会も全く差別や理不尽のない世界もどこにもない。実現など不可能であるということを。(だからこそ、仕組みや制度の整備は必要となってくるのだが。)

資源、金、ポスト、採用枠…そのどれもが限りあるもので、目指した全員が掴むことができない。そして、誰かが掴むということは、違う誰かが手放した、奪われた、辞めたということ。逆に言えば、あなたが業界を去るおかげで、また違う誰かが夢を追える、あるいは夢を叶えることができるだろう。結局、この世の全ては有限であり、欲しいのであれば知らず知らずのうちに誰かを蹴落とさなければならない。何かを諦めないといけない。全部が全部は凡人には無理である。限られた一握りの天才以外は。

夢を追うこと自体は素晴らしい。しかし、可能性がないのに、さも夢が叶うと思わせて無駄な時間と金を使わせるのも良くない。夢を追うならば、それ相応のリスクが伴うのは当たり前である。その点では、こちらは年齢制限というゴールがあるので良心的である。諸外国の中には、世襲制であったり、義務教育の時点で将来の進む道が決まる社会制度がある。社会階級が違えば話す言葉も職業も異なり、両者が出会うことも少ない。そう考えると、日本は夢を追うこと自体はかなり平等でオープンではないか。基本的には誰でも参入できてしまう。

まずは、高学歴ワーキングプア、博士の悲惨な自殺、世界がもし100人の博士だったら、その辺りを読んでみて欲しい。学問の世界は声優の世界以上に競争と搾取と理不尽だと私は思う。

また、日本の格差や差別は世界から見ればぬるい方である。ここまで社会保障と再分配、インフラが機能している国はなかなかない。

私も臨床心理士を目指そうと思っていたことがあったので、夢破れた人が心理学に目覚めるのはよくあるパターンなのかと思った。あと、児童福祉や障害者福祉などに進むケースもよく見る。心理や福祉は女性が好む学問であるが、食えない分野であることはご承知おきたい。

別に何者にもならなくて良いと気がつくのは、恐らく20後半や30歳を過ぎてからだろう。