見えないものを見るために

人生哲学 元図書館司書 図書館・情報学

正直わかり手さん(小山晃弘氏)や非モテ男性の苦悩は理解できない

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こちら読みました。いやぁ、きっついな。
こんなこと言うのは何だが、「弱者男性」の見ている世界と「弱者女性」の見ている世界は決定的に違うものがあると感じる。それは「性」の問題に関係するのかもしれない。

私はモテないが、それを悩んだことはない

最初に自分の前提条件を確認しておきたい。結論からいうと私はモテない。正確に言うと寄ってくる人間はいても他者との関係性を継続することができない。婚約破棄をしたことがあるし、付き合って1週間や1ヶ月で別れたこともある。更に言えば、性に嫌悪があるためか、極度の潔癖により、この年になっても性経験がない。いずれ魔女になれるかもしれない。なので私は積極的非モテ女性である。そのことを悩んだことはない。どちらかといえば、男女問わず他者との関係を維持することができないことに悩んでいる。
ちなみに、他者に性愛を抱かないことを「ノンセクシャル」、他者に好意を抱かないことを「アセクシャル」と呼ぶが、私はこれに近い。性の関係を持ちたくないが故に非モテであることを悩む必要性がないのである。

暴力性のあるやつがモテる?

男性の人格においてモテ・非モテを別けるのは「暴力性」である。

パワー、金でも暴力でもなんでもいいんですけど、とにかく権力をアピールすると。それでモテる、みたいな形です。


このまことしやかに語られる神話がよくわからない。少なくとも私は暴力性のある男が大の苦手である。付き合ってきた男も可愛い系の女友達の延長のような人が多い。百歩譲って暴力性が女性にモテると仮定したとしても、その暴力性というのは離別の原因になり得る。

内閣府男女共同参画局より引用

第1節 配偶者等からの暴力の実態 | 内閣府男女共同参画局

平成23年度の家庭裁判所における婚姻関係事件の既済総件数は6万7,779件,うち妻からの申立総数は4万9,138件,夫からの申立総数は1万8,641件となっている。

妻からの申立ての動機は,「性格が合わない」(43.6%)に次いで「暴力を振るう」(28.8%)が多く,さらに,「生活費を渡さない」(25.3%),「精神的に虐待する」(24.6%)等,夫からの暴力が大きな動機の一つとなっている


DVで逃げている女性の中には経済的理由から離婚に踏み切れない方々も多く存在する。つまり仮に暴力=モテだとしても、これは一時的な効力にしかならないと言える。この記事の中で一般的な幸せとされている「恋愛→結婚→出産」といったロマンティックラブイデオロギーを実践するのならば、尚のこと暴力=モテではないと認識すべきではないか。

恋愛工学は女性軽視することで男性同士の結束を高めるホモソーシャルの道具である

ピックアップ・アーティストや恋愛工学と言ったコミュニティがある意味で男性の居場所になっているというのはすごく感じるんですよね。

恋愛工学界隈を見ていると、不特定多数の女性と関係を持つことが偉いという謎の理論が存在する。その目標を達成するために、男性同士で連帯する。そのコミュニティ内では自らがモテないこと=弱者であることを吐き出せる。そういう居場所というか、仲間意識みたいなのがあるようだ。その弱者男性の自己肯定感の向上に女性が「使われる」

ナンパ師的な経歴を経た上で一人の女性を愛するということが、本当にできるのかなと、すごく僕は疑問に思っていて、

これは多いにあると思う。多数の女性とのハーレムを作り、多数の子孫を作るのと、1人の女性を愛して一つの家庭を作っていく一般的幸せとは、目的条件が異なる。だから、彼らが疑問に思えるということはマトモな感覚を持てているということで、好感が持てる。

男には必ず「性」の問題がある

オタクのコミュニティがダメになる理由は、だいたい女装ホモセックスです。

これが衝撃だった。弱者男性同士のコミュニティですら、性の問題に行き着いてしまうのか。女性同士のコミュニティは性とは程遠い場所にあることが少なくない。むしろ性から逃れられる場所が、女性同士のコミュニティと言えるかもしれない。

性愛を持たない結婚で「友情結婚」というスタイルがあるが、その友情結婚専門の結婚相談所に登録されている男女でも似たような違いが見られた。男性はほぼ「ゲイ」で「子ども希望」の方、女性は性的志向を持たない「アセクシャル」、「ノンセクション」が半分以上を占めていた。
以前見た統計によると、男性の婚活する理由が、「子どもが欲しいから」 だそうだ。
一方で、女性には一定数「子どもが欲しくない」、「性的関係がいらない」けれど、「結婚はしたい」、「彼氏は欲しい」という層がいる。つまり、女性には、性的な繋がりは関係の構築に必ずしも必要ではないのだ。

男女は分かりあえない。何故なら違う存在だから。でも、それは人間に置き換えても同じである。

弱者同士は繋がれない、繋がれないからこそ弱者なのだという理論は正しい。残念ながら、人は自分の痛みには敏感であるが、他者の痛みには鈍感なのである。
この記事を見てとてつもない衝撃を受けたのは、自分と価値観や考えが違うからだと思う。違うということは理解を遠ざける。時にそれは格差や差別や偏見を生み出す。男女はもっと分かり合おうという結論は陳腐なことであり、分かりあえないからこそ問題は長期化しているのだろうな。ならば、分かりあえないという前提がまずあるべきで、そこから互いに落とし処を探っていくしかない。どちらかが妥協することも時には必要かもしれない。
それは別に男女の仲だけではなく、人間同士の関係全般に言える。全く同じ人間などいないのだから、違うものだという前提が必要。人それぞれの苦しみがある、というのは大いに理解できた。

小山さんは、リアルの繋がりを推奨されているが、なかなか難しいんだよな。一回会うことはできても、続けることは難しい。コミュニティも発足はできても、継続は難しい。

あと、やはり彼らの中でも恋愛と生殖が密接に関係しているのが見て取れる。特に小山さんの近くにいるようなメンタルな女性は子どもを持ちたくない人が一定数以上にいると思うのだが、これもまた男女の違いなのかもしれないな。