見えないものを見るために

人生哲学 元図書館司書 図書館・情報学

「好き」を諦めるのか? それとも

自分が人と違うと認識したのは10代の頃からだと思う。

女子校育ちであったので、周りに女性しかいない特殊環境で育ってきた。何故だが私には、女性に対して「好き」という感情があった。たった一人の女性にだけであるが。

最初で最後の女性に対する「好き」な気持ちは、私の親友への「好き」だった。初めて会った女子中学校の廊下で、その彼女はかくれんぼをしていた。移動教室の途中で、私は別の友人と廊下を歩いていた時に、

「だーれだ」と、ドアの影に隠れていた女の子がいて、

「◯◯ちゃんだ!」

と、隣にいた別の友人が当てると、彼女がひょこっと顔を出して、ニコニコ笑っていた。
すごく可愛いと思った。赤い眼鏡をかけていて、ミディアムショートの愛らしい女の子。

それが親友との出会いだった。

友人の友人。それだけの関係から始まったのに、後に16年間、彼女は私の大切な親友として仲良くしていただいた。

そんな仲すらも自ら切り裂いてしまったが…。


あれからもう何年経っただろうか。

親友と仲違いし、私はそれを埋めるために婚活をしている。昨年、結婚相談所とアプリで活動した結果、どうやら私は男性も好きになれることがわかった。でも、私は性的欲求が男性に向かないのだ。恐らく私の性的欲求は、女性に向いているのかもしれない。男性と行為をしたいと全く思えないのである。その影響で、結婚できそうだった男性とのご縁を逃した。

ノンセクシャル男性との出会い】

もう行為ができないから同じセクシャリティの人で探そうと思った。マッチングしたノンセクシャル男性と数ヶ月やり取りをして、実際に会ったが、「好き」という感情は生まれなかった。むしろ生理的に無理だと感じた。

好きな人と結婚がしたい。

誰だってそう思うだろう。好きな人と結婚をするなら、性行為をできないとならない。何故なら、ノンセクシャル男性はほとんどいないからだ。好きになれる同じセクシャリティの男性なんて、ツチノコレベル。

じゃあ、好きを諦めて、性行為はいりませんと言ってくれる男性と結婚する? 恋愛感情は3年で冷めるというから?

そうまでして結婚する必要性ってあるのだろうか…。

私は好きな人と、相思相愛になって結婚がしたいのだ。

だったら、もう一度、スタートラインに立つしかない。気が済むまでやるしかない。

結婚相談所の再入会の準備は整った。また傷つくし、疲れるあの世界には本当は戻りたくない。たとえ成婚退会できても、セックスできるかわからない。

でも、「好き」を諦められない。

だったら、また、最初から始めよう。私は再び結婚相談所へと出戻ることを決めたのだ。

【ノンセクシャル】恋愛感情と性的欲求は別物である

セックスができなくてフラれた。

もう何度この不毛な流れを繰り返したかわからない。男女が出会って恋に落ちて、ずっと一緒にいたい、そう思ったのに。
相手の欲求に答えることができず、フラれる。この繰り返しを何年も続けてきた。

私は普通じゃない。きっとノンセクシャルというやつだ。


【性的欲求が他者に向かないという「障害」】

一般的な男女が恋愛すれば、恐らくいずれは性交渉というものにぶち当たるだろう。それは、相手に触れたい、触れられたいという気持ちからくるもので、愛情表情であったり、性的欲求だったりする。好きという気持ち=恋愛感情とすると、恋愛感情は相手に対して性的欲求を生み出すものと一般的には考えられている。

「好きだから、あなたとセックスしたい。」

それが「普通」である、と。今までの私は、この恋愛感情が=性的欲求に繋がるものだと思っていたのだ。

しかし、最近になって、恋愛感情と性的欲求は別のものであることに気付いた。例えば、男性の中には、好きでなくても相手と性的関係を持つ人が少なからずいる。反対に、女性の中には、相手が好きだけど性的関係を持つことに躊躇する人もいる。恋愛と性欲は必ずしも一致しない。同じ相手に同時に現れるとは限らない。そして、これがエスカレートしていくと、私のような存在が表れる。

「好きだけど、相手としたいと思えない。触れられても何も思わない。」

性的欲求が他者に向かないのである。何故なのか…。ずっと苦しんできた。

恋愛感情と性的欲求は全くの別物なのである。

この性的欲求が他者に向かない人々のことを日本では「ノンセクシャル」というらしい。LGBTQ+の1つである。

【出会いはあっても付き合えない】

私の恋愛対象は男性である。男性と恋愛のような甘い気持ちを楽しんだこともある。けれど、その先に行くことがいつもできなかった。

婚活で出会った相手から私の出会いは「運命だ」と、言われたこともある。その人とすら、私は最後までできなかった。できなかったから、フラれた。彼は今、全く別の女性と真剣交際をしており、近日結婚すると思う。

結婚相談所のシステム画面で、たまたま見つけた彼の真剣交際の事実を、ただただ見つめるばかりで、この数週間は放心状態であった。ご飯も食べられなくなって、三キロ痩せた。いくら出会えても先に続かない恋愛は不毛である。

【私は一体何なのか?】

好きな相手に性的欲求が向かないという辛さ。何故なのか、自分でもわからない。

わずかな心辺りは、私には16年間片思いをしていた女性の親友がいたことだ。彼女のことは好きだったし、触れたいとも思った。

もしかしたら、いろんなものがちぐはぐなのかもしれない。

私は恋愛感情は男性に向くが、性的欲求は女性に向いているのかもしれない。それはもう、確認しようがない。

ただ2年間、婚活をしてきてようやくわかったことは、

恋愛感情と性的欲求は別物のであるという。

それだけの事実を、大きな代償を払って、知り得たと思う。

夢か結婚か

結婚相談所で活動していた。
1ヶ月に100件以上の申し込みと、14人との見合い、結婚前提の真剣交際申し込みアリと、自分の中では僅かながらの手応えを感じた2ヶ月だった。

けれど、結婚はしなかった。正確に言うと、できなかった。

結婚相談所に高いお金を払って登録して、毎週活動していたのに、本当に結婚がしたいのかわからなかった。

ここまで結婚願望のある同年代の男がいることに内心ビビってしまったし、市場外ではこんな真面目な男はレアなのだ。なのに、結婚はできなかった…。

私は安定した仕事にもついているから金にも困っていない。このご時世に子どもは欲しくはない。男は苦手だ。女性の方が好き。もっと言うと一人が好き。結婚のメリットは世間体だと思う。あと、相手がいるという安心感。それが自分の人生を大きく変えるような決断をするほど手にいれたいものなのか、わからなくなった。



夢か結婚か。
決断は数年以内にしなくてはならない。



私には夢がある。『あしながおばさん』になることだ。この世界に存在する格差という理不尽なものを、子どもたちから打ち返すような大人になりたかった。生まれることは理不尽なことである。そこに自己決定権はなく、いきなり競争市場に放り出される。その人が持っている能力も境遇も環境も異なるのに、等しく競争することを求められるのだ。振り落とされれば「自己責任」とされる世の中に、自分の子どもを産み落とそうなんて思わない。むしろこの世界に産まれた「恵まれない」子どもたちを、人間たちを支援したいと思った。

だからこそ私は公務員になったのだ。公務員になってかつ、女性団体のNPOで資金提供をしている。(このブログでは当初見バレ再発防止から民間企業と偽ってきた。)

私はいずれ公務員を辞めたいと思っている。何故なら、私は自分の事務所を持ちたいと思っているからだ。社労士と行書のダブルスコアで、社会制度と人を繋ぐ仕事がしたい。+して実家の家業である不動産大家をしたい。不動産を増やして、若い女性のための住宅支援にあてたい。私は本当は35歳までに独立したいのだ。35歳までに母親になりたい訳ではない。婚活男は99%子どもを希望する。結婚したら子どもを期待され、母親であることを求められる。家庭を優先させることが求められる。

そう考えると、私が結婚したいのは職場の既婚率が高いから…そんな世間体からなんだと思う。

夢か結婚か。それが問題だ。

株価爆上がりじゃん

なんなんだろうなこの市場は。

まだまだアメリカなんてコロナ死者数もリストラ数も高いままなのに、株価だけはぐんぐん上がっている。

こわすぎ。

人材より、株主を優先させているってことでしょう。

コロナ自粛で暇な人たちがネット証券で買いまくっている話や金融緩和や政府の買い支え話を目にしたから、影で操作している層がいるのだろう。

追加投資はコロナ自粛中にガンガンやるべきだったなぁ…。これコロナバブルで儲けた人いたでしょ。

前アカウントのブログがネットの世界に残っている

前アカウントのブログを新アカウントに移行すると決めてから2年が経過してしまった。

たまたまGoogle検索で出て来て、恥ずかしさに死にそうになった。

あのときはまだ20代だった。今より精神的にも肉体的にも若かったが30歳を過ぎてから一気にだらけるようになった。

年齢というよりは、だらだらできる環境になってしまった影響が大きい。

昔はもっと考察的でパワフルな文章が書けた。長々と何百記事も止めどなく溢れてどうしようもなかった。

今はこの通りやる気のない淡々とした文章しか書けなくなってしまった。

老化か、これが感性の老化なのか。

つまらない組織に所属していると、自分までつまらなくなっていく。腐ったりんご、朱に混じれば赤くなり、いつしか感情も消えて、ただ淡々と生きていく中年になるのかと思うと、今からだいぶ気が重い。

持つべきものはキャリアである

法律関係の仕事をしているため、離婚、一人親、引きこもり、ニート、様々な境遇の人々を見る。

それを見てどうかという訳ではないが、自分の中の小さな有耶無耶を確信に変えることができた。


持つべきものはキャリアであるなぁ。

と。キャリアというか、端的に言えば「金」である。

あとは、いざとなったときに適切なサービスに繋がる能力。
たとえ金を稼げなくなっても、手当金やサービスは探せばけっこうあるもので、認知がきちんと働くうちに調べておくと良い。


世の中には家族主義の人たちもいるが、女性の場合はたとえ結婚して、子どもがいたとしても、在宅や施設で一人死を迎えることが確率的には大きい。何故なら、男性の方が短命だからだ。また、子どもがいても今は介護するとは限らない。そんな現状を嫌というほど見てきた。

唯一救いなのは女性の方が生活力がある人が多いこと。貯蓄もしている。女性同士は共通点があると連帯できる傾向にある。

トータルで見ると女性の方がうまく生き延びやすい。

私と同年代(30歳前後)で先を見据えて動いている人間は女性の方が多い。逆に男性は目先のことしか見えていない人が少なくない気がするな。

次に危ないのはサマンサタバサかな

倒産予測をしていた。

事の起こりは二週間前。Twitterでタイの航空会社(LCC)がヤバいという噂を聞いてソワソワしていたら、国営のタイ国際航空の方が経営破綻した。

経営がヤバいと聞いていたのはエアアジアの方だったので、こっちが倒れたかとビビった。

アパレルではレナウンが倒産!

コロナ経営不振がじわじわと効いてきている感じがする。

そこで次にヤバい大手は、散々潰れる潰れる言われてきた「サマンサタバサ」じゃないかなと、考えていた。

【理由】

①4期連続赤字 2020年2月期は19億円の損失

②店舗数の減少、リストラ

③2020年5月にコナカ子会社と合併。今後上場廃止の可能性あり。

③契約デザイナーlalaのインスタ突然削除


いろいろ黒い噂が拾えまくる。
サマンサタバサも本当に終了かもな。

ずいぶん前にJJ、CanCamみたいな赤文字系でエビちゃんスタイルが流行ってた時に、サマンサタバサも大人気だったのに。デザインの流行り廃りは早い。

今や雑誌も売れず姉ブラのAneCanも休刊。サマンサタバサは大赤字。

時代は変わるな。