見えないものを見るために

人生哲学 元図書館司書 図書館・情報学

世の中キレイゴトだらけ

あまりこのブログには書きたくないのだけども。

某障害者支援施設の殺人の話である。今まで被害者の名前や遺族の話が出てこなかったのが、ちらほらインターネットを通して出てきた。
それがまた感情がこもっているから強い言葉になっていて、見ているこちらが傷ついてしまった。

この事件は、是非はどうあれ、とてつもない問題提起であった。障害福祉の現場はそりゃ過酷ですよ。当事者も家族も介護者も行政も。

加害者の優性思考は非難されるべきで、極刑もやむを得ない。しかし、この優性思考は、ん十年前に旧優性保護法で国や行政が推していた時代があったわけだ。この加害者だけが異常ではなく、誰しも異常になり得る。もっと言うと誰もが障害者にも遺族にも加害者にもなり得る。そう考えると、全員が自分事なんですよ。

私は障害者であったり、支援者であったりしたが、当事者ではない外野ほどキレイゴトを言っていたりする。
だったら、近所の障害者支援施設建設に反対しないか? 税金を障害者支援に更に割り振るのは賛成か? そもそも障害年金や手当金や医療費控除などがどれだけ貰えるか知っている?
表に出てくる障害者は「マトモ」な方々で、重度になってくると、話せない、話せても会話が通じない、一人でご飯が食べられない、用を足せない…様々な違いが出てくる。見たことある? 毎日介護したことある?

一方で、20代で子どもが生まれたとしても、重度障害児だったりも起きる訳ですよ。後天的に肢体不自由になることもある。高齢者の4人に1人が認知症…。世の中いつ「弱者」になるかなんてわからない。だからこそ制度や仕組みは大事であり、お気持ちや理想だけじゃ何ともならん。



こっからはエゴかもしれないが、強い言葉には反感を覚えてしまうので、少し吐き出したい。

家庭の都合で児童寮にいれて、最後は施設に入れて任せてしまったわけで、そんなに可愛いなら、在宅で介護しながら一緒に暮らせば良かったじゃねぇかとかも考えてしまう。在宅介護なら行政の支援だって使えるものある。自立支援法に基づくサービスや手当金は在宅が条件になっているから。

確かに全部が全部在宅介護なんて無理な話なのはわかる。預ける受け皿がないのもわかる。安心に預けられない社会にだけはしたくない。

しかし、大変な苦労を代わりに世話する介護士たちが、低賃金やブラック労働になっているのも事実。これが問題の根元であると言えないのか。血縁でもない他人の介護を複数同時進行でハードな仕事をしている人たちこそ、大きな報酬や社会的地位を与えるべきなのに。福祉の現場はどこもかしこも人手不足。現実はケア労働は軽視されている。(元は女性の無償労働で成り立っていた。)
だから、土台の部分、仕組み自体を変えないと駄目だ。この事件に限らず、健常者を犯罪者にしてしまう介護自体が闇が深い。

結局、加害者になったら自分が完全に悪者になる。

殺人なんてしないで、辞めりゃ良かったのにな


【追記】
自分が言いたいことを某議員さんが言っている記事があったので、ここに残す。

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