見えないものを見るために

人生哲学 元図書館司書 図書館・情報学

社会人院生になりたい

意味のない空き時間というのは人生に中弛みをもたらす。

コロナウイルスの自粛で休みが増えて、家にいる時間も増えた。やることはそれなりにあるのに何故かやる気がでない、動けない状態が続いている。

それは昔からなんだろうけれど。燃え尽き症候群に似ている。

今の私には支えになるものが何もない。転職で得たものはあったが、なくしたものが大きすぎた。それは、

・図書館司書としてのキャリア

・同じ志を持った同期

・幼なじみの親友

・やりがい

たぶんそれは私が築き上げてきた自分のやりたいこと、自分らしさだったのかもしれない。


今の私が得たもの

・ただ安定しているだけの退屈な仕事

・それなりの年収と福利厚生と有休

・好き勝手できる一人暮らし

・孤独

・共同体に混じるための意思のない結婚願望


改めてみるとひどい。安定は退屈の始まりだ。


私は一体なにがしたかったのだろう。


今もし余命宣告されたとしたら、私は今の生活を捨ててしまうと思う。ここにたどり着くまで10年以上もがき続けてきたのに。

じゃあどこに進むつもりなのか。


大学院に行きたい。ずっと憧れてた。


筑波大学の図書館情報・メディア研究科に行きたい。夜間のサテライトキャンパスで、社会人院生になりたい。

本当は安定などいらなかったのかもしれない。

私は世界一図書館と情報を愛していた。でも、追っても追っても夢は遠くに離れていくだけだった。

私は親友が大好きだった。愛してたかもしれない。でも、その気持ちを伝えたら関係は壊れてしまった。

求めれば求めるほど、本当に欲しいものは得ることができない。

けど、もう一度、学問の世界に行けば、全部忘れることができるんじゃないか?

忙しさに殺されれば、私は何も考えなくてすむかもしれない。

私はもう一度、アカデミアの世界で、論文が書きたい。

小山さんは変わってしまった

最近のメンヘラ.jpの小山さんのTwitterを見ているとこんな人だったのかという残念さを感じる。

誰かを下げて否定しないと自我が保てないタイプは、弱者だとか関係なく、人として終わってると思う。

与えることができない人が、女に好かれて養ってもらい、尚且つ子どもまで産んでくれなんて、虫の良すぎる話。女性側にメリットが一切ないのに、男側に謙虚すらない。

こんな器の小さい人間じゃなかったはずなのに、失望した。

クラウドファンディングで金を集めたのに、ホームページも更新されてないし、他人の否定ばかり。
アベマTVに出てた時は使命感みたいなのを感じ取って共感してたのに、いよいよ単なるメンヘラ狂人になってきた。非常に残念だ。

何もない原始的な生活

ハァ 図書館も無ェ 映画も無ェ
人がそもそも歩いて無ェ
喫茶も無ェ スタバも無ェ
家では 毎日ぐーるぐる
朝起きて 目が覚めて
ネットとレポの繰り返し
旅行も無ェ ジムも無ェ
バスのダイヤは休日か!
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
未来へ出るだ 未来へ出たなら
10万貰って 回る寿司食うだ~

小山さんのバリキャリ非モテ論はそれなりに面白い

メンヘラ.jpの小山さんのnoteを読ませて頂いた。

バリキャリ女子は何故モテないのか
note.com


課金500円でした。先日、小山さんのツイキャス配信を見たが、口座に残金210円くらいしかないらしい。なんでこんな資金繰りまずいのかわからない。とりあえず課金した。


それで上記のnoteの内容であるが、それなりに面白かった。婚活ブログの男性仲人の話ではよく言われていることだね。

結局、婚活で女性のモテる要素というのが、後にも先にも年齢と容姿なんだよな。
私は婚活をこれから始めようとしている勢なのだが、29歳の時に婚活パーティーに一度いったらめちゃくちゃモテて、ほとんどの男性からいいねを貰い、第一志望の男性とカップリングした。しかし、彼は生活力がなさすぎて、実家暮らしで家事も貯金もできない浪費家な癖に、子どもや女としての価値を要求するから無理だった。

それがトラウマでしばらく婚活をしなかったら、30歳になってしまった。今の年齢だと、どうなんだろうな。パートナーを作って継続させるのは難しいんだよな。

あと、バリキャリ=浪費家という固定概念は何なんだろうな。将来セミリタイアを目指しているそれなりのキャリアな私は浪費はあまりしない。むしろ前述のような男性の浪費家に会ってしまって引いたレベルだ。女性の贅沢が旅行やブランド品だと言うなら、男性の贅沢は車・バイクやオタク趣味だろう。ぶっちゃけ男性の浪費は私はキモいと思うので、小山さんが女性の浪費をキモいと思うのも仕方ないだろう。それは男女の問題というより、理解のある人同士でくっつけば良い話。

女は、キャリアと女としての魅力が直結していないのが腑に落ちないよな。男は働いて勉強ができればある程度モテるそうだから楽だよなー。
やはり女としての価値を磨くのが向いていない女というのがいるんだよな。

それは口座に貯金210円しかなく中卒の小山さんも同じで、男としての価値を磨くことができない男もいるということではないのだろうか。
もし小山さんがバリキャリに養って貰いたいなら、家事や育児をワンオペでやって、パート労働くらいはする典型的な主婦像をやれるのか?という話になる。世帯主である女を立てて、癒しを提供して。それをやるのだったら養うと思う。思いやりも価値も提供するまでもなく、恋愛結婚でもないのに、養ってくれとはバリキャリ女性も面食らうだろう。

今時は女性でも養って欲しい系はモテないのだけどね。男女共に自立していなければ対等なパートナーシップなんて無理だろう。

やはりパートナーシップを継続するというのが難しい。出会ったりモテたりすること自体はだいたいみんなできる。ただ、結婚や生涯添い遂げる等の関係の継続はとてつもなくハードルが高く感じる。これは同性同士でも言える。

そうすると私は複数にモテることは重要ではない。いかに価値観の合う一人と長く一緒にいれるか。

探すしかないよな。また、自分の生活が変わるのも受け入れるしかないし。結婚でも失うものがない人は強いな。

自炊がはかどる楽しい毎日

コロナウイルスの自粛要請のため、在宅勤務という名前の休みがちらほら出てきた。
業界的にはむしろ仕事は増えているため、業績も上がって休みも増えて、個人的には楽しい家ライフを過ごしている。

家にいるとやることが限られてきて、一番の楽しみは食になる。と、言っても豪華どころか普通のレストランに行けない。毎日が自炊。毎日がおうちごはん。三食が自炊である。

場合によっちゃあ、けっこうキツイ。世の中のママさん方には頭が上がらない。自炊を楽しくやるには時間がかかる。

最近になってその臨界点を突破できたのか自粛が楽しくなってきた。納豆ご飯にお味噌汁、一皿分のおかずを用意していた初期から、今やガパオライス、家系ラーメン、生地からマルゲリータピザ、パテ・ド・カンパーニュ等々、暇とチャレンジする余裕がなければできない自炊がはかどるようになった。
すると、今までスーパーで選んでいた食材や調味料にもこだわりが出てくるようになる。アメリカ産より国産肉のがうまい。世の中には変わった塩がある。ジュースは果汁100%を1000mlパックで。旬の野菜を使った料理を。スーパーの刺身がうまい。
たぶん普段主婦(夫)の人たちにとっては当たり前のことなのかもしれない。しかし、キャリアルートに入ってしまい、生活を疎かにしてきた私には、何もかもが新鮮だった。

次はインテリアやフレグランスにも手をだし始めている。フランフランのお洒落雑貨に囲まれて幸せだ。

ああ、おうちって良いな。おうちに帰ろう。あたたかい布団で眠るんだろな。

コロナウイルスのおかげで人間らしい生活が強化されつつある。この豊かな暮らしは決して当たり前ではないのだからこっそりこっそり享受していきたい。(表で言ったら炎上案件だ。)

もう世の中が全てオンラインで完結する世界がいずれ来るのだろうか。そうしたら引きこもり属性はマイノリティから勝ち組になってしまうな。

abematvの「メディアとフェミニズム」を見て、社会構造に着目すべきだということを改めて考えた

本日4月3日22時~放送されたAbema tvの特集「メディアとフェニスト」を見て考えたことを書き残したい。

私は、この特集で取り上げられたハフポストの「ひろゆき氏が語るフェミニズム」についてのインタビュー記事を読んで感想も書いてきた。
この記事は批判が多かったようだが、私としては肯定的に見させて頂いた。
しかしながら、ひろゆき氏が結局フェミニストを攻撃するような姿勢になってしまったのは残念だなとも感じた。恐らく一部のフェミニストから批判されたのが嫌だったのだろう。


そして、今回Abematvで豪華なゲストとひろゆき氏を交えての対談が実現した。放送直前にゲストのトイアンナ氏が宣伝されていたのがきっかけで、見ることができた。放送一時間ハラハラしてたまらなかったのだが、内容は面白かったし、考えさせられた。

【感じたこと】

フェミニストフェミニズムも個々で違うものだということ。それは、こうした思想に限らず、人の感性や価値観は同じではない。育った環境や経験によって左右されてしまう。
例えば、ひろゆき氏が自分の親を見て「専業主婦は楽」と感じたのも一つの価値観であろうし、東子先生がひろゆき氏の「専業主婦、兼業主婦、シングルマザーの三人では一番専業主婦が楽ですよね?」という質問に答えられなかったのも、結局それぞれの家庭や当人で違うものだから一般化できなかったのだろうと推測できる。
感性、環境、価値観、当事者なのか、外野なのかでも、いろいろ変わってくるものを、「自分はそうだからあなたもそうですよね」と、押し通すのは難しい。となると、誰が楽か、誰がどうなのかという小さい枠組みで議論するのは不毛なのだ。

一方で、男女の賃金格差、女性の就労の障壁、無償の家事労働・ケア労働、性暴力といった大きな枠組み、言ってみれば社会構造の部分こそ注目すべき問題である。誰が楽でもいいから、同じ仕事してるのに男女で賃金が違う、医学部の入試で加点数が違う、それはおかしいからなくせよとなる。なくすためにどうしたら良いか考えるべきなのである。社会構造の問題こそ注目して欲しい。

(シングルマザーはなぜ貧困率が高いのかと考えた時に、やはり女性が稼ぎにくい現状があるのが問題な訳で、現にシングルファザー貧困率は女性に比べれば低い。もちろん貧困のシングルファザーもいる。
https://www.mhlw.go.jpstf(厚生労働省一人親家庭の現状と支援施策の課題について」)
その他にもシングルファザーの方が持ち家に住んでいる世帯が多い、父以外の同居人がいる(祖父母と同居している)ケースが多い等が見えてくる。
構造として、シングルマザーの方が家事や育児の負担が大きく、仕事も稼げないのではないかと。)


【理解できなかった点】

ひろゆき氏が解にこだわるというか、一般化したがるのはよくわからなかった。「専業主婦が一番楽ですよね?」という質問に「あなたの母親はそうだったのかもしれないけれど、全員が全員そうではないですよね」と、答えるのは私にとっては理解できるのだが。何故なら人それぞれ違うものだというのが前提にあるから。ひろゆき氏は専業主婦は楽だという価値観を肯定して欲しかったのだろうか? ひろゆき氏の中ではそれがもう世界の全ての事実みたいな感じなのだろうか。暴力や経済DVを受けている専業主婦と、両親や親戚から援助があるシングルマザーと、どちらが楽ですか?と言われて答えられますか?という話ではないのだろうか。そうすると、その三択から選ばせるという質問の時点で「専業主婦とは、兼業主婦とは、一人親とはこういうものである」という固定概念があるのであろう。それは私もそうだ。

あと、怒りや攻撃性で他者に接すれば、そりゃあ同じような態度で返されてしまうよな。
あのときの興奮状態のひろゆき氏や一部の過激なフェミニストにも言えることだが、「攻撃されるのではないか?」、「自分を否定しているのではないか?」というような迎撃体制になってしまっているというのはあるよな。

ku-too運動の石川氏もやってることは評価されるべきだと思うけれど、石川氏に対して攻撃する人たちはめちゃくちゃいるわけだから(ありゃ集団イジメみたいなもんだ)、石川氏も攻撃体制になってしまって、埒が開かない、平行線、ただのやり合いになっている感じはある。ひろゆき氏の炎上にも似たような構造がある。そうすると、インターネットの一部を切り取って都合の良いように批判するという構造自体の問題が見え隠れしているのは事実だ。

そういう意味では双方向からぶっ叩かれたひろゆき氏は可愛そうだったね。私はあの記事好きだけどね。好きじゃないと感じた人もそりゃいるだろうなと理解している。

子どもを持つべきか持たざるべきか

非常に悩んでいる。何年も悩んでいることがある。

それは「子どもを持つべきか持たざるべきか」

これである。

結論として、私は子どもが欲しくない。これは自分の本当の気持ちなのだと思う。理由は、今まで自分が生きてきて苦労したことから、子どもを持つことは親のエゴだと考えているし、そもそも自分は生まれたくなかった。とにかく好きでもないのに生まれてきてしまったという悲しみがある。だから、悲しみの連鎖はなくしたい。

また、子どもは授かり物であり、必ずしも元気に生まれてくる訳でも、理想通りに育つわけでもない。不確定リスクが多い。

たとえ、命懸けで産んでとしても、キャリアの中断やワンオペ育児、名もなき家事労働が待っている可能性がある。この辺は相手次第なのであるが。

とにかく不確定要素が多く、必ず今の生活を変えなくてはならないし、女性の負担が大きすぎる。懸念点が多すぎるのだ。

私は「反出生主義」に近い。

しかしながら、明るい家庭に憧れもある。私は家族仲が悪い毒親出身なため、家庭に夢を持ってはいないが、憧れに似た感情はある。どこか夢の世界の話なのだが、どうやら本当に家族愛は存在するようなのだ。本当にあるなら実感してみたい気もする。

婚活をしていても、8割~9割の男が子どもを希望している。ロマンティックラブイデオロギー。これを受け入れられれば、次のステージに進めるはずなのに。嫌なことを受け入れても、幸せになれないですよと言われた。けれど、その言葉も100%の確率ではないのだ。

不幸な人間を新たに増やすより、今不幸な人間を幸福にする方が合理的なのではないか?という考えもある。世の中には生まれたくなかったのに生まれてしまったと考える若者が多く見受けられる。特にそうした若い女性たちを支援するNPO団体や行政組織が存在している。自分の子どもを持つよりも、今生まれてしまった若者たちを支援する方が重要なのではないか?と、私はつくづく思う。私は賛助会員なのだが、やはり仕事や社会活動中心の生活の方が自分らしいと感じる。

答えはいずれ必ず出さなくてはならない。決断しなくてはならない。もう、何もしらない「少女」のままではいられないのだ。本当は何も考えたくないし、何もしたくない。