見えないものを見るために

人生哲学 元図書館司書 図書館・情報学

わたしはずっと真面目の世界で生きてきた

「真面目ですね。」


よく言われること。真面目というレッテル張り。

私は、セミリタイアだとか、働きたくないだとか、とにかく楽して暮らしたいというのが前提としてある。日頃からサボることを考えているのだから、自分は不真面目な人間だと思ってきた。

ところがどうだ。世間の評価は反対で。何かと「頑張ってるね~」、「真面目だね~」という的外れな言葉をかけられることが多い。何故なのだろうか、わからない。
つまり「つまらない人間ですね」と、いうことなのだろうか。それは一理ある。私は他人とコミュニケーションをとることが苦手だ。だから、忙しいふりをして、相手から話しかけることを拒んできたかに思う。

先日、某巨大読書会に参加してみて、改めて実感することがあった。私は面白い話ができないのだ。昔はもっとユーモアがあったはずなのに、他人に日常を面白おかしく伝えることができなかった。話の面白い人は、読書会でもどんどん人と繋がれる。その話を聞くのはとても面白いが、私自身が自己開示するのは難しかった。

彼らの職業はバラバラで、作家や編集やライターやAV監督のような普段の世界では出会えないような人たちがたくさんいた。そうした人たちは、全然価値観が違って、自分からしてみたら「不真面目」な生活をしている。彼らは彼らなりの生活にこだわりもあるし、人としても面白いのだ。

そう考えると、私はとても真面目だと思った。毎日同じ時間に起きて、時間かけて通勤をして、定刻通りに仕事開始。嫌なこともやるし、楽しくないことも多い。残業だってする。毎日毎日来日も来日も。その上、休みの日は自己啓発もしている。

くっそ真面目じゃん。


本当は真面目じゃないのだ。なにもしないでずっと好きなことをしていられたら、どんなに良いだろう。自分の金で遊んで暮らせるロイヤルニートのような存在でありたい。そうだ、セミリタイアだ。

そんなことを考えて所々手を抜く自分は不真面目だと思う。

けれど、最近気が付いたことは実は周りも完璧に働いてはいなくて、上手に手を抜いている。案外デキル上司も「働きたくない」と思ったことはある。不真面目であることは、悪いことではないという実に単純な考え方であった。