見えないものを見るために

人生哲学 元図書館司書 図書館・情報学

まともでまじめなせかい

長い文章を書けなくなったのは自分の感情が鈍化したからだと思う。

安定大企業に転職してから2年が経過する。毎日が同じことの繰り返しだが、つまらない仕事を最低限やっていれば毎月給与が振り込まれてボーナスだって満額でる。年功序列で給与は上がるし、クビだって切られることはほぼない。有給休暇は好きなだけ消化。朝だるければ病欠ってことにして遅刻も可能。こんな恵まれた組織なんてないで?と、はっきり思う。人間欲深いもので、こんなにぬるい環境でも、もっともっと理想の職場に行きたいと高望みしてしまう。やりがいのある仕事がしたいとか、好きなことだけで生きていきたいとか、圧倒的成長がしたいとか。今の組織では無理だろうが、ここに一生しがみつけるのならば、自分の生活は守られる。

世間はいろんな不満に満ち溢れている中で、ここでは既婚者で子持ちで普通よりは潤っている昭和の古き良き「標準世帯」がたくさんいる。むしろデフォルトだ。男性でも育休半年以上とるし。

一方で、そういう環境に違和感を持つ自分がいる。私はどちらかというとレズビアンであり、もっというと他者にあまり興味がない。アセクシャルだ。

昔からいろんな意味でマイノリティだった。当たり前のことが当たり前にできない。いや、当たり前のふりをすることは得意だった。優等生のふりをしていても、心の中では常識が常識と思えなかった。

結局、自分はまともでまじめなせかいにずっと生き続けてきても、本当はまともじゃないのだろう。

だから、人間社会の普通を疑問に思うことなく実行できる同僚たちを理解することはできないし、それに染まることもできないでいる。

向いてないのだろうな。良い子ぶりっこするのも。気づかないふりをするのも。

感情が鈍化しているので、最近は喜怒哀楽に薄く、空っぽで何も考えていない状態が多い。

そして気がつけば、大好きだった文章を書くこともできなくなっていた。